日本一忙しい
中華職人を目指して

伊藤 綾一 1979年生 東京都出身 中華部門 料理長兼メニュー開発ディレクター

職人として自問自答したホテル時代

「荻久保の“町中華”を営む両親の元で生まれ育ったので、自分が料理の道を選んだのは自然の流れでしたが、親とは違う道を目指し有名な外資系ホテルに就職しました。」

 

洋食・中華部門での7年間、先輩料理人にも恵まれ、料理人として順調に成長する中、“職人”としての自分に不安を抱えた。

 

「外資系ホテルなので、環境が整備されていて、勤務時間や休日も一流企業レベルでした。いわゆる“サラリーマン料理人”なら最高の環境だと思うんですが、私は、親が朝から晩までずっと働いている姿を見てきましたし、町場で働く同世代の料理人が時間に関係なく経験を積んでいる姿を見て『ずっとこんなヌルい中で働いていて“料理職人”として通用するのか?』と自問自答しお世話になったホテルを辞めさせてもらいました。」

一度、仕事を離れたからこそ分かったこと

和洋中のジャンルを超えた新業態が次々と生まれた平成の飲食業界において、NYスタイルヌーベルシノワ、創作鉄板焼店他、様々なジャンルに携わった。

 

「ホテルを出て10年。ありがたい事に色々とお誘いいただき色んな飲食店を経験させていただきました。」

 

流行りを追いかけるオーナーの一声で現場が窮地に追い込まれる事が多い中小飲食企業。虚無感に苛まれ料理人を辞める者も少なくない。彼もまた、同様の壁の前に立たされた。

 

「考えたら、飲食店の家に生まれてからずっと飲食業界にいるんですよ(笑)。色々悩んだ時期に、深く考えずに“建設現場”で働いてみたんです。ガテン系職人は、お昼ご飯はケチらずにいいお店でしっかり食事するんです。皆さんが行く中華料理店にご一緒させてもらった時に気づいたんですが、自分自身が“一般客”として中華料理店に行ったのが初めてだったんです。そうすると、客席から色んな事が見えてきて、お店で試したいアイデアが色々と浮かんできたんです。ふと、自分の手を見たら、土や機械油で汚れていて、『料理人がこんな手でどうする!』って我に返り辞めさせていただきました。 建設現場の職人の皆さんには大変失礼な話ですが、あの経験は貴重でした。改めて料理人としての幅を広げる為、「浜倉的」で再スタートさせてもらいました。

料理人として初めての世界

当時、弊社唯一の中華業態、新橋ガード下横丁「ちょい呑み 餃子」配属

 

集客力と厨房のコンパクトさには驚きました。今までは料理の美味しさだけに集中していれば良かったんですが、ココは違いました。美味しさはもちろん、いかに効率よく、無駄なく、手際よく調理するかが勝負。厨房とホールはもちろん、隣のお店とも連携を取りながら、個人プレーとチームプレイが必要です。アテンドなく客席を埋めるお客様で溢れるホールを回すアルバイトスタッフの能力にも感心させられ、全てが自分の知らない世界がありました。」

 

「新橋ガード下横丁」を店舗数、客席数、メニュー数等の全てをスケールUPした「渋谷横丁」内『横浜中華街食市』オープニング料理長に抜擢。

 

「『横浜中華街食市』には、厨房レイアウトやメニュー作成の段階から携わらせていただきました。王道の中華メニューが並ぶ直球勝負です。私の原点の中華料理ですので、言い訳も聞きません。料理人20年の集大成のつもりでオープンに挑みましたが、コロナ禍にありながら、毎日とんでもない集客で正直ビビりました(笑)。今後、「渋谷横丁」は間違いなく、日本一忙しい店になると思いますね。自分はその中で“日本一忙しい中華職人”として、新メニュー開発はもちろん、中華料理未経験の方でも美味しく作れるフォーマットを完成させたいと思います。

この先輩の様に働いてみたい!
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