安良賀 寛 1979年生 埼玉県出身 和食部門 料理長兼メニュー開発ディレクター

名門進学高校在学中、「彼はどの大学を選ぶのか?」という周囲の話題と期待に反し、「手に職を付けたい」、「独り立ちしたい」という密かな思いを募らせ、大人達の猛反対を押し切り、老舗料亭の門を叩いた。
「追い回し(見習)は、先輩方一人一人への『お茶出し』から一日が始まります。仕事のほとんどは、親方の身の回りのお世話。もちろん、食材や道具に触れることは許されません。外部との連絡も断ち切り、寮と厨房だけの世界。『辞めたい』と考える暇もありませんでした。」
当時、「パワハラ」などの弱者を擁護する言葉はなく、特に料理界は徒弟制度が色濃く残る職人の世界。閉ざされた厨房では、毎日怒号が飛び交い、手を上げられることも珍しくはなかった。
今なら、コンプライアンス的に完全にアウトですね(笑)。でも、当時は疑問にすら思わない、あたり前の世界。要は板前として『我慢する事』を体で覚えるんです。もちろん、耐えきれず辞めていく人も多くて、最初12人いた同期も最後は2人になりました。その分、早くステップを踏ませていただき、4年間で全てのポジションに立てるようになりました。
通常、一人前と言われるまでに10年はかかるという板前の世界。自ら選んだ道への執念と、持ち前のセンスで短期間で修行期間を終え、親方の推薦により懐石料理店の二番手として4年間務めた後、町場の和食店で10年間経験を積んだ。

「料亭から始まり懐石から和食店と、日本料理の中では徐々に一般的なお店へ移ってきました。その間に家族を持ち、自分の経験とスキルを高く評価していただける環境を求めて、最も大衆的な居酒屋業界に目を向けた時に『浜倉的』に出会いました。」
特徴のない総合居酒屋へのニーズが薄まる業界において、我々は『魚〇』、『牛〇』、『貝〇』等、全国各地の生産者から届くブランド食材を提供する『産直酒場』を展開する中、各店の代表メニューを集結させた総合産直酒場『食道楽』を開発。各ジャンルの専門料理人が腕を振るう同店において、彼の経験はふさわしく、入社時に『調理技術試験』を実施。その秀でた技術を高く評価し迎え入れた。
「メニューの多さ、厨房レイアウト、客席数、回転数、オペレーションなど驚く事ばかりで、『繁盛店の商売』を見せつけられるような毎日。何もかもが新鮮で、ある意味、修行のやり直しでしたね(笑)。

環境に慣れれば技術は本物。「食道楽」調理スタッフとして活躍する中、2020年8月の「渋谷横丁」OPENプロジェクトメンバーとしてメニュー開発チームに抜擢した。
「『渋谷横丁』のコンセプト、スケールはもちろん、『全2600のメニュー開発』には正直、耳を疑いました。本当に驚くことが絶えない会社です(笑)。料理長を中心とした、開発チームでの連日連夜のメニュー開発は想像以上に大変でしたが、日本全国のソウルフードには新たな発見が多く、非常に楽しかったです。やり遂げた今、料理人として『新たな引き出し』が増えた感覚があります。」
日本食市 新橋 ホールマネージャー 根本美咲 1992年生 大阪府出身
渋谷横丁「渋谷バル」料理長兼メニュー開発ディレクター 石川正年 1983年生 福岡県出身
日本食市/韓国食市店長 佐藤隆廣 1987年生 東京都出身
和食部門 料理長兼メニュー開発ディレクター 安良賀 寛 1979年生 埼玉県出身
新橋ガード下横丁 「魚○」ホールスタッフ 西村 奈穂 1996年生 兵庫県出身
渋谷横丁「近畿食市」ホールマネージャー 斎藤聡二 1992年生 青森県出身
CHUBBY AIRLINES ホールスタッフ 工藤 美月 2000年生 青森県出身
渋谷横丁 「渋谷バル」 ホールマネージャー 藤並 裕真 1997年生 大阪府出身
中華部門 料理長兼メニュー開発ディレクター 伊藤 綾一 1979年生 東京都出身
渋谷横丁 「北海道食市」 ホールスタッフ 鋤柄 広海 2000年生 東京都出身
渋谷横丁「近畿食市①」ホールスタッフ コルテスみゆき 2000年生 名古屋出身
有楽町産直横丁「九州沖縄食市」調理 脇浜豊 1985年生 長崎県出身
渋谷横丁 「力士めし 萬」 ちゃんこ番長 古閑和徳 (元 春日岫) 1984 年生 大阪府出身
渋谷横丁 「力士めし 萬」 デイタイム社員 田中 舞 1995年生 東京都出身
有楽町産直横丁 マネージャー 堂脇優 1994年生 神奈川出身
渋谷横丁「韓国食市」料理長 김현철 1978年生 釜山出身
渋谷横丁「北海道食市」副料理長 平原君和 1972年生 神奈川県出身
有楽町産直横丁 マネージャー カプオッツイ 凌大 1996年生 千葉県出身
有楽町産直横丁「魚の浜恵」デイタイム社員 岩井迫まり 1972年生 東京都出身
魚浜 六本木店 マネージャー 松岡健太 1982年生 神奈川県出身